W610Q75_キリスト教10

仏教においてイメージする有名人は、一休さんでしょうか?寺で修行しながら、いたずらをして怒られたり、はたまた、とんちを働かせて問題を解決したりなどなどしていましたね。一休さんは、いわゆるお坊さん、つまり僧侶です。

ところで、もうひとつ住職という言葉があるのは、ご存知でしょうか?住職も僧侶なんですが、僧侶の中でもたとえば、寺を運営したりする中心人物を言うんです。会社に例えると、僧侶は社員で住職は社長と言えば分かり易いでしょうか。

この僧侶や住職、はたして何をしているのでしょうか?中心的な仕事としては、法要や葬儀などを執り行う仕事があります。日本では、葬式宗教などと揶揄されることもありますが、先祖供養や墓の管理などは僧侶のとても大事な仕事なんです。

ただ、若い僧侶たちの中には、旧来の仏教のイメージを覆そうと、飲食店を経営したり、美坊主なるルックスで人目を引いたり、はたまた、なかには、僧侶バンドなどを組んで、若者を仏教に取り込む努力をしている僧侶たちもいます。

宗教に一番大事なのは、庶民の中に入り、生活の中で救いを提供することです。そういう意味では、かつての僧侶が既存の顧客や檀家のみを相手にしていたのとちがい、新しい僧侶ムーブメントが始まっているのかもしれません。

対するキリスト教の神父は、どうでしょうか?どんな仕事をしているのか知りたいところです。神父とはカトリックにおける聖職者の名称です。

プロテスタントは、牧師といいますが、今回はより規律が厳しいカトリックの神父を取り上げます。神父はどちらかと言えば、住職に近い存在です。寺の運営と同じように各地の教会を運営するのです。

そこでは、地域の信徒の冠婚葬祭の行事や、クリスマスやイースターなどの年中行事の執り行いなどを仕事としています。最も特徴的なのは、毎日のミサです。

聖書の朗読・祈り・聖歌などを主体とした、毎日の儀式であるミサを行う事、これが神父に与えられた、また神父にしかできない仕事です。

余談ですが、住職=神父とすると、僧侶=修道士・修道女という分け方が可能かもしれません。カトリックの修道士や修道女は、神父のようにミサなどは行えませんが、キリスト教に一生を捧げて修行する聖職者だからです。

また、神父と僧侶の決定的な違いは、やはり、神父が生涯独身を貫かなければいけない点でしょう。カトリックの聖職者は、すべて独身であることが義務付けられており、そのことが神父や修道士たちの純潔・清貧の精神につながっています。ちなみにプロテスタントの牧師は、結婚し家庭を持つことは認められています。

最後に、仏教の僧侶とカトリックの神父、はたしてどうやったらなれるんでしょうか?仏教においては、基本的に高い信仰心があれば、誰でもなれるとされています。

しかし、かつて、僧侶になれば兵役が免れるという特権があったため、たくさん人々が僧侶になりたがった時期がありました。ですので、ある程度の、仏教的な学問を修めて修行した人、特に得度と言われる仏教の許可がなければ、簡単にはなれないようです。

神父の場合も、大神学校で神学と哲学をおさめ、その後の終生誓願・助祭司祭と長い期間を経てやっと一人前の神父になれるのです。これという形のない宗教だからこそ、その上に立つ人間には高い教養と知識が求められるのではないでしょうか。