仏教にしてもキリスト教にしても、よくわからないのがその宗派です。仏教人口が多い日本では、多くの人が宗派を意識するのは、葬式や法事の時ではないでしょうか?
例えば、父親が亡くなったとして、葬儀会社の人から宗教の宗派はどちらですか?と聞かれて即座に答えられる人は少ないかも知れません。
仏教ならなんでもいいでしょ!と考えるのは大きな間違いです。なぜなら、仏教であっても宗派によって御本尊が違ったりもするからです。御本尊とは、寺院の本堂にあって最も尊重される仏像で、それが違うと宗教が異なるのと同じくらいまずいことになります。
インドからわたってきた仏教は聖徳太子が重用し、その後、平安時代に最澄と空海によって一気に広がりました。この時期に多くの仏教宗派が勃興し、大きく分けて、7つの宗派が日本に現れました。
最澄の天台宗、空海の真言宗、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、臨済宗と曹洞宗、そして日蓮宗です。それぞれ、南無阿弥陀仏や南無妙法連華経、南無釈迦牟尼仏などなど唱えるお経のスタイルも異なります。
密教の修行をすれば、すぐに仏になれる即身成仏の真言宗、念仏を唱えれば救われる浄土宗。その中で少し異質なのが、座禅をメインに据えた、臨済宗と曹洞宗です。座禅をして悟りを開くこの宗派は、インドの達磨によって中国に伝えられたと言われます。
そうです、あの達磨(ダルマ)です。じつは、縁起物で有名な達磨は、このインドの修行僧が9年間にわたって座禅の修行をしたのが由来です。なんと、長い座禅のせいで足が腐ってなくなってしまったのです。どれだけ、座禅をするんだという感じですが、なかなかすごい逸話です。
このように7つに分かれた仏教の宗派ですが、お互いにうちの方が優れている!なんていう喧嘩はあったのでしょうか?仏教の宗派同士での争いは、ほとんど聞こえてきません。
もしかしたら、宗派はラーメン屋ののれん分けみたいな形だったのでしょうか。親元での修業を終えた弟子たちが、それぞれ自分の店を開いたようなものだという認識が正しいかも知れません。
キリスト教に関しては、二つの宗派に注目してみましょう。カトリックとプロテスタントです。プロテスタントは、もともとはカトリックにいた人々が作った組織です。
カトリックは最も古いキリスト教の宗派で、バチカンのローマ教皇を頂点とした権威あふれる宗派です。しかし、権威は腐敗します。
カトリックに蔓延する腐敗に文字通り反発した人々が、組織を飛び出しプロテスタントを作ったのです。当然、反発していたので基本的に、カトリックとは仲が良くありませんでした。
カトリックが教会を中心に神父や修道士・修道女などの聖職者を重用しているのに比べ、プロテスタントは牧師のみです。カトリックのタテ社会の権威を真っ向から否定し、聖書の教えのみに信仰を置くプロテスタントは、個人がそれぞれ神を信じるシンプルな個人主義です。
大きな違いでいえば、同じような立場の神父(カトリック)と牧師(プロテスタント)の世俗における違いです。聖職者を批判しているプロテスタントは、牧師であっても家庭を持つことができますが、神父やその他聖職者は、生涯独身を貫かなくてはいけません。
しかし、こと日本においては、クリスチャン人口は1%ととても少ないのはご存じのとおりです。カトリックもプロテスタントも同じクリスチャンという認識でいろいろと協力し合う関係にあるといえます。
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