W610Q75_キリスト教7

人は必ず死にます。あたりまえですが、生物である人間の死亡率は100%です。人生の長い・短いはありますが、みなどこかの時点で必ず死んでしまうのです。

そして、死んでしまったら最期、基本的には生き返りませんので、死んだあとの世界はわかりません。いくら科学が色々なものを解き明かしても、この死後どうなってしまうかは、誰も生き返った人がいない以上知りようがないのです。

一部、死ぬ間際までいって帰ってきたと証言する人もいますが、それも意識の問題なので信頼性が怪しまれます。そんな全くもってミステリアスな死後の世界ですが、仏教とキリスト教にはなんらかのヒントが示されているのでしょうか。

なんといっても、宗教は人間の死と密接に結びついていますので、当然死後の世界を明確に定義しています。仏教において死後の世界というと、何を思い浮かべるでしょうか?

天国?地獄?半分だけ正解です。輪廻転生が基本の仏教は、いま私たちがいる人間界と並列に6つの世界があるのです。そしてじつは、49日間という期間は、死者が次に生まれ変わる世界が決定するまでの待機期間なんですね。

6つの世界は、餓鬼界や畜生界など恐ろしい世界もあれば天界という世界もあります。この天界が、私たちが理解するところの死後の世界、いわゆる天国なんです。善い行いをすれば天国にいけるというのは、仏教もキリスト教も同じですが、仏教においては、6つの世界のうちの1つなんです。

ですので、驚くべきことに天界であっても苦しみがあり、死があるんです。そして、天界で老いて死んでしまって、さらに悪い行いをしていた日には、次の輪廻転生では修羅の世界へ…なんてこともあります。

仏教においては、悟りを開いて、この6つの世界の輪廻から脱出することが最大の目的です。ですので、厳密に言えば仏教において死後の世界はなく、悟りを開かない限り永遠と輪廻を繰り返すのです。

一方、キリスト教における死後の世界とはどういうものでしょうか?一度きりの生命が基本のキリスト教は、死とは、神のもとに帰り永遠の安息を得る事です。ですので、キリスト教の葬儀においては讃美歌を歌ったり、お悔みを言わなかったりなど、どちらかと言えば仏教より明るい雰囲気があります。

そして、シンプルに良い行いをした人は天国へ行き、文字通り永遠に安らげるのです。もちろん、悪行を働いた人や、罪をおかし償いきれてない人は、それぞれ地獄や煉獄へ運ばれます。

煉獄というのは、キリスト教を信仰したが、罪をおかしその償いがまだ残っている人が完全に浄化されるために行くところだとされています。例えば、刑務所で死刑判決を受けた人が、キリスト教の洗礼を受けたという話をたまに聞きますが、もしかしたら、このような人は煉獄に行くのかもしれません。

死後の世界については仏教もキリスト教も宗派によって世界観は色々と異なります。しかし、はっきり言えるのは、仏教におけるいわゆる輪廻転生の概念は、キリスト教においては皆無であるということが言えるでしょう。「来世でまた結ばれよう」などという言葉は、完全に仏教の輪廻転生ならではの考え方なんですね。