日本は仏教が盛んな国と思われていますが、実はそうでもありません。日本の仏教の歴史は、鎌倉時代にはじまります。そして、中国伝来の大乗仏教がいわゆる日本の仏教なのです。
しかし、世界に目を向けると本格的に仏教の盛んな国は、上座部仏教といってもっと戒律の厳しい仏教が中心です。例えばタイのように。そこで、仏教の本当に盛んな国のタイはどのような社会なのか、また、対してキリスト教の盛んな国にも目を向け、その違いを見ていきます。
タイは人口の96%が仏教徒の国です。寺社数3万以上、さらに僧侶の数は30万人超とそうそうたる数字を誇ります。街中でお坊さんが托鉢をしている姿は、タイの風物詩ですし、バスなどで一般人がお坊さんに席をゆずる姿もよく見られます。
タイの人々のお坊さんへのリスペクト度は日本の比ではありません。日本の大乗仏教が万人の救済を目指すものであるのに対して、タイの仏教は信仰が篤い者ほど救われるという主義だからかもしれません。
もちろんお坊さんの戒律の厳しさも、それを押し上げています。タイの僧侶は基本的に、出家して集団生活をしますが、なんと227もの戒律を守って暮らさなくてはならないのです。
最もやってはいけないとされる戒律は、性行為、盗み、殺人、虚言の4つ。このことから、日本のお坊さんのように妻をもったり家族を持つこと自体も禁止されているのです。
この部分は、キリスト教カトリックにおける聖職者や修道院と通じる部分もあります。いわゆる、俗世間との繋がりをある程度断つ必要があるのです。
大きな戒律の他にも、様々な制約があります。例えば、自慰行為、女性に触れる行為、さらには結婚の仲介や金銭に触れることさえダメとされているのです。
かなり厳しい戒律にしたがって生きる僧侶たちを、自然と社会で受け入れているタイの国民性は、総じて穏やかです。なぜなら、厳しい仏教の影響が色濃く国民に浸透しているからです。
ですので、タイ国民は基本的には争いを嫌い、声を荒げたりしない人が多いのです。こうみていくと、本当に仏教が盛んな国は、厳しい戒律にのっとって多くの僧侶が暮らしているタイのような国なのです。
キリスト教のさかんな国といえば、イタリアがすぐに思い浮かびます。何と言っても、キリスト教カトリックの総本山であるバチカンをローマに擁しているだけに、本格的なキリスト教国といえます。
街の中心部には、必ずと言っていいほど教会があります。むしろ、イタリアの街は、教会を中心に作られているといってもいいほどです。
そんなイタリアにおいて、特徴的なのは安息日とされる日曜日です。日曜日は、朝からどこのお店も休業し、みな、教会のミサへ行くのです。ローマ法王のミサが毎週中継されるほど、キリスト教が盛んな国ならではです。社会的な機能は、日曜日には停止し、文字通り安息日になるのです。
そのため、土曜日のイタリアでは面白い光景が見られます。多くの人が、買い物にいき買いだめをするのです。大きな荷物を抱えた人が、沢山街を行き交っている姿はイタリアの風物詩です。
キリスト教徒がほとんで、毎週ミサに行くキリスト教国のイタリアですが、じつはタイの仏教の戒律ほど厳しいルールはありません。ある程度の形式に従って行動しますが、そのほかは割といい加減に物事をこなします。
イタリア人に出会うと、多くの人がその人柄から陽気な印象を得ます。もともとの国民性もありますが、カトリックという伝統的宗教の影響を適度に受けつつ、文化も楽しむ国民性が色濃く出ているのです。
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