
これからの宗教を考える上で重要なのは、端的に言えば信者数です。そう言う意味では、あくまでも日本においてはキリスト教の信者数の少なさは、かなり危うい懸念事項です。
しかし、日本において仏教信者は一見多そうに見えますが、実際はそう安心していられません。葬式仏教ならぬ、お墓や葬式の時だけ活用するセレモニー的な存在に成り下がっているからです。
そう考えると、信者数云々の前に、日本人の土壌に宗教はなじまないのではないか、と考えたほうが腑に落ちます。なぜなら、今現在もキリスト教の信者は、韓国や中国において伸び続けているからです。
同じアジアで近い国なのに、日本との違いはなんでしょうか?日本はよく言われる八百万の神が好まれて、一神教の神は好まれない、そんな意見もあります。しかし、実際は、中国も韓国も伝統的宗教によって支配されてきた歴史があります。
そんな国にとって、自由闊達な雰囲気のあるキリスト教は、平等でとても魅力的に映ります。日本も、昭和初期の軍国主義時代に神道を強要された歴史がありますが、敗戦により一度リセットされています。
そこから、天皇が象徴になることにより、神道自体の勢力は一部分にとどめられました。どこか緩い日本人の宗教観は、この戦後に始まったと言ってもいいかもしれません。
クリスマスを祝い、初詣に神社にお参りし、お葬式は仏教で、といった具合に宗教をある意味うまく飲みこんでいるのです。しかし、実際に信徒として宗教を理解している日本人は多くありません。
そうなると、信者数に関わらず未来のキリスト教や仏教も、本質的には徐々に勢力を弱めていく可能性があります。少子高齢化によって、敬虔な信者はどんどんいなくなっていくからです。
とはいえ、日本人は、十字架をアクセサリーとしてつけて、クリスマスは国内最大の行事として祝います。これも、意識していなくても、キリスト教の宗教的行為であり、それを自然とこなしているのです。
仏教においても、例えば浅草の浅草寺には年間3000万人が訪れるのです。世界中のどの宗教的巡礼地でも、こんな人数が参拝に来るような場所は多くありません。
みな、お寺に行き、お賽銭を入れ、手を合わせて祈っているのです。これも、立派な宗教的行為に他なりません。キリスト教にしても、仏教にしても、触れる機会は沢山あるのです。
また、最近ではお坊さんの書いた著作や、キリスト教の修道女であるシスターが書いた著作が大ヒットしています。これらを、宗教書として読む人は少ないですが、書いている人は、信仰の篤い人々です。
年間を通して行う宗教行事の多さと、著作の大ヒット。これらをかんがみると、日本においてキリスト教と仏教は、潜在的な需要がとてもありそうです。
仏教は、若い僧侶たちがインターネットなどを利用して、若者にも分かり易い新しい布教活動を行なっています。テレビなどにも出始めていて、これから、どんどん人気が出てくるでしょう。
また、キリスト教に関しても、将来的に少子化によって移民などが増えると、クリスチャン率は一気にあがるでしょう。そうなると、外国の友人ができるチャンスも増え、キリスト教への理解が深まる可能性もあります。いずれにしても、両宗教の未来像は、そう考えていくと思ったより明るいのではないでしょうか。

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