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イスラム教やユダヤ教やヒンドゥー教などで宗教的にタブーとされていることは、結構ありそうです。豚肉を食べてはいけないや左手で食べてはいけない、などぱっと思いつくのは食に関するタブーです。

キリスト教や仏教においても、食のタブーやその他のタブーはどんなものがあるのでしょうか?意外とタブーは少ない気もしますが、調べてみましょう。

まずキリスト教においては、金曜日に肉は食べないことや復活祭(イースター)の前は、断食するなど、食の制限に関する規則的なものがいくつかあります。

しかし、かつての厳格な時代はともかく現在は、これらの制限もかなり緩和され、いつもより少なめの量で我慢するといった感じになっています。

仏教においては食事のタブーはいかがでしょうか?じつは、仏教にはこれといったタブーはないんです。あえていうなら殺生するなかれという戒律くらいでしょうか。

しかし、殺生するなかれとはいえ無益な殺生という意味なので、特にタブーということでもなさそうです。ただ、仏教における食の制限のポイント次の一点です。修行の妨げにならないようにすること。

そういう意味では、酩酊するほどに酒を飲んではいけない。やニンニクをたくさん食べてはいけない。などが、いわゆるタブーに入るのでしょう。ニンニクは、口臭を気にして人付き合いを控えてしまい、大切な教えを聞き逃さないようにという理由です。

キリスト教が神やキリストとの関係性の中でタブーがあるのに比べて、仏教の場合はひたすら修行と自分との関係性の中でタブーが発生するという点は、とても面白い点です。

食以外のタブーでは、キリスト教の場合は、同性愛・中絶・避妊・離婚などがあげられます。最近はかなり市民権を得ている同性愛も、キリスト教とくにカトリックの場合はかなり否定的な見解を出しています。

同性愛は、性的逸脱と考えられ宗教上の罪と見做されるからです。とはいえ、現在では一人一人がもつ人権は十分に尊重されなくてはいけない、という立場に徐々に変わりつつあります。

避妊や中絶に関しては、キリスト教は完全にタブー視しています。これは、避妊や中絶を一種の殺人と見做しているからです。与えられた生命、与えるべき生命を意図的に立つことは、神の意志に反する行為なのです。

聖書の中でイエスは、「二人が結ばれると一体になる」という言葉で結婚を表現しています。この言葉を根拠として、結婚とは神様が引き合わせてくれたものという考え方を持っています。だからこそ、それを離すこと、つまり離婚も禁止しているのです。

このようにキリスト教のタブーを見ていくと、かなり保守的な位置にあると考えられます。しかし、この超保守的立場ではm多様化する現代に合わなくなっていると言わざるを得ません。

一方、仏教においては、同性愛などを禁じる見解は特にありません。ただ、「不邪淫戒」という戒律でみだらな行為はしないようにというざっくりとした教えはあります。

さらに、避妊などに関しては「殺生するなかれ」がやはり戒律として有効ですが、それでも状況によっては容認されます。

タブーに関していえば、仏教は一貫して、修行や悟りの邪魔にならなければ容認という立場にありそうです。しかし、世俗から解脱するのが仏教の最終目的だとすれば、現実世界のすべてはある意味タブーであるともいえるかもしれません。