
キリスト教には、信者になるとつけるもう一つの名前があります。信者になるには、洗礼という儀式を行うのですが、その際につける名前を洗礼名といいます。
主にカトリックが中心ですが、この洗礼名多くは過去に偉業をなしとげた聖人や、天使の名前をつけるのが一般的です。例えば、マリアやヨセフなどの名前は洗礼名として人気の高いものです。
例えば山田太郎さんが洗礼名をつけるとしたら、ヨセフ・山田太郎という具合に、洗礼名・氏名という順番で表記されるのが一般的です。
洗礼名としてつけられた聖人は、その人個人の守護聖人となります。さらには聖人は個別に記念日を有しており、国によってはその記念日は、個人の誕生日より盛大に祝う場合もあるんです。
ただ、同じキリスト教でもプロテスタントの場合は、聖人を崇敬する習慣自体がないので、洗礼名の制度もありません。すべてのキリスト教ではないという部分で注意が必要ですが、洗礼名というのはなかなか興味深い制度です。
そこで気になるのが、仏教にも洗礼名のように個人がもらう名前はあるのでしょうか?答えはあるです。戒名というのがそれに当たります。戒名といえば死んだ後につけられる名前と思われがちです。
しかし、本来、戒名というのは授戒した人(仏門に入った人)にだけ与えられる名前なんです。つまり、仏教の出家修行者が僧侶になった証しとしてもらうのが、この戒名という名前なんです。
特に日本において、戒名といえば、死後お墓に刻まれる名前というイメージがあります。これは、日本人の死生観が変化したことによって生じた習慣です。
もともと死んだあとについて、日本人はあまり頓着しなかった歴史があります。しかし、徐々にその部分に注意が向けられ、最終的には死んだらすべての人は基本的には成仏する、という考え方に変わったのです。
成仏するということは、故人は仏になるので、理論的にはあの世での名前が必要となります。ということで、出家修行者でなくても全ての人は、死んだあとに戒名が授けられるのが一般的になったのです。
戒名に関しては、仏教の宗派によって色々な名前が存在します。しかし、キリスト教と比べて問題視されるポイントがあるんです。それは、支払ったお金によって、付けられる戒名のランクがあがるということです。
そうです、戒名にはお金がかかるのです。これが、仏教における名前付けの問題点ともいえます。キリスト教の場合は、信徒になった段階で洗礼名を自分で自由に選べて付けられます。もちろん無料です。
しかし、仏教の戒名の場合は、徳の高そうな名前はお金がそれだけかかるという訳です。これも歴史をひも解くと、理解できる点があります。
もともと、仏教には「院号」と呼ばれる個人がどれだけ仏教の戒律を守り、よく寺院に貢献し人生を全うしたかをはかる基準点のようなものが存在しました。これが高い人は、特別に戒名を授けたりしたのです。
しかし、あまり公益活動なども行わず寺院に貢献しなかった人の遺族の中から、それでも院号をもらいたいという声が多く出てきたのです。その際に、寄付金を多く奉納すれば、具体的な活動がなくても、院号をあげるという具合にしたのです。
そこから、お金さえ支払えば寺院と仏教に貢献したとみなされる、拝金主義的な価値観が始まってしまったのです。洗礼名と戒名は似たものですが、実体はずいぶん違うものになっているのが、興味深いですね。

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