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アルコールと宗教の関係は、とても深いものです。とくに、西洋においてキリスト教の伝来とワインは、切っても切れない関係にあります。なんといっても、ワインはキリストの血と考えられており、ミサや祭儀においても使われるからです。

しかし、じつは、ビールもキリスト教とは関わりがあります。聖職者たちがあつまる修道院は、知識の宝庫です。ワインの鋳造とともにビールの鋳造もできたのです。

6世紀ごろ、当時の教皇の命令で、キリスト教の布教のために、宣教者たちは、布教地に赴きます。そこで、ブドウがならない場所があることに気が付くのです。ブドウの実らない地において、麦から作られるビールはとても重宝されました。

また、この時期イエス・キリストの誕生日を12月25日に定めたともいわれます。布教の地でこの12月25日に、宣教師たちはビールを町の人々に無料でふるまったと言われています。このような行為は当時の一般の人々にとっては、驚くべきものでした。

一般人には手の出ないビールを飲める、これだけでその地で暮らす人にとって、キリスト教に入信するきっかけにもなったのです。もちろん、モノで釣るわけではありませんが、この時代の人にとっては大きなきっかけになったのは間違いありません。

現在でも、特にカトリックの修道院で作られるビールは、ほかの商品に比べて高価な価格で販売されています。祈りを込めた修道士たちの手で鋳造されたビールは、宗教的価値を感じさせ何か敬虔な気持ちになるから不思議です。

さて、仏教においてもお酒の歴史をたどってみましょう。と思ったのですが、なんと仏教の開祖釈迦は、「不飲酒戒」といって酒を飲まないことという戒律を設けていました。つまり、仏教において酒を飲むこと自体が禁じられていたのです。

5つの戒律でできている、釈迦の戒めですが、じつは、抜け道もあります。釈迦は、お酒を飲むことで、残りの4つの戒律が守れないのでダメだといったそうです。ということは、適度に飲めばOKということになります。

仏教でアルコールと言えば清酒です。古い文献によれば、10世紀ごろの寺社では酒殿があり、鋳造技術が確立されていたとあります。また、当時の権力者、豊臣秀吉などが特に愛飲した清酒が天野酒と呼ばれる、天野山金剛寺で作られたお酒だったりします。

権力者と仏教の関係を考える時、酒殿がある寺社で作られた酒は、戦いの前に飲み、勝利を念じて縁起を担ぐという意味合いもあったのかもしれません。

宗教由来のものはいろいろありそうですが、とくにお酒関係に絞ってみてみました。いずれにしても、神や仏のご加護を受けたアルコールは、それを飲む人々に特別な感覚を与えたことは想像に難くありません。

しかし、仏教にしてもキリスト教にしても、飲みすぎて泥酔してしまうことを禁じていました。たとえ聖職者が作るお酒であっても、当たり前ですが、中毒性のあるアルコールの危険性は消えるわけではないんですね。