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時代と宗教の関係は密接です。キリスト教と仏教も江戸時代~明治時代と移り変わる中で、国の政治に取り込まれたり、また禁止されたりしながら、その立場を変えることを余儀なくされてきました。

今回みていくのは、まさに激動の時代昭和初期です。江戸時代というと、少しおとぎ話的な遠さがありますが、昭和となるともはや近現代です。今でも生き証人として、多くの人々がいます。

そして、総じて思うのは、昭和にあったあの戦争です。そこで、第二次世界大戦と太平洋戦争を通して、キリスト教と仏教はどのような位置にあり、そしてその後どのように変化したのでしょうか?

昭和初期は軍部が台頭して、軍国主義化した時代です。そこで、軍部が利用したのが国家神道です。神道を国教とし天皇を頂点に置くことで、教育や思想をコントロールしだしたのです。

そんな中、西洋の宗教であるキリスト教は、かなり厳しい立場に立たされることになります。1931年日本が戦争に突入する一つの事件が起ります。満州事変です。

この満州事変を境に、軍国主義化を強めていく日本ですが、ここでキリスト教に関する二つの事件が起ります。1932年の上智大学生の靖国参拝拒否事件と1933年の奄美のカトリック教徒迫害です。

どちらも、キリスト教という信仰をすてさせ、国教である神道を無理強いする横暴な政府の圧力事件です。その後1939年に宗教団体法が可決されたことにより、日本におけるキリスト教の団体は政府の管理監督のもとに置かれることになったのです。

キリスト教のカトリック教会もこの法案を受けて、靖国神社への参拝は宗教行為ではないので、国のためにやったほうが良いという見解を出します。それ以降、日本における最低限の地位を守るため、沈黙してしまったのです。

このようにして、昭和初期のキリスト教は、軍国主義と宗教団体法によって、無力化していきます。そうしなければ、団体自体が消されてしまいかねない時代だったのです。

仏教も、キリスト教ほどではないにしても、同じような状態でした。神道は公益法人なので様々な優遇を受けている傍ら、仏教はこれまた宗教団体法によって、かなりの制約を国から受けます。

元々明治維新で廃仏棄釈により、寺社仏閣等の焼打ちにあっていた仏教にとって、神道の国教化はさらなる仏教の弱体化を招いたのです。

両宗教が息を吹き返すのは、もちろん戦後です。戦争に負け、GHQによって宗教団体法は廃止されます。そして、1946年日本国憲法によって、信教の自由が保障されたのです。

これによって、キリスト教の場合、多くの宣教師が日本に入り、様々な布教活動の結果信者数は飛躍的に伸びました。仏教も息を吹き返し、この時期は特に、法華経系の新宗教団体の創価学会や立正佼成会などの団体が新しく生まれました。

いずれにしたも、昭和と宗教を語る上では、戦争は欠くことはできません。敗戦によって、宗教が息を吹き返すのも少し、皮肉ではありますが時代の流れが変わったひとつのポイントでしょう。